コラム

明治時代後半から大正時代にかけて、日本は化学工業や電気工業など新たな産業が飛躍的に発展し、その動きに呼応する形で広告業界もめざましく発展していきました。電柱広告も大手企業から、中小の企業、商店、医院など広く利用されることになり、電柱塗広告(巻広告の前身)は同業の東京交通社の鉄柱、電話柱、郊外電車の柱にも採用され、全国へ普及していきました。
「掛広告」においても、東京市内の交通量が増え、ガラス入り行灯型広告を道路上で使用することは危険であると警視庁が判断したことを受け、木枠にトタン板をはめ込み、ペンキで塗装した、いわば現在の掛広告の前身となる広告が登場しました。
「掛広告」においても、東京市内の交通量が増え、ガラス入り行灯型広告を道路上で使用することは危険であると警視庁が判断したことを受け、木枠にトタン板をはめ込み、ペンキで塗装した、いわば現在の掛広告の前身となる広告が登場しました。